28年目の「空白の一日」

 プロ野球史に残る汚点の一つ「空白の一日」を扱った「黄桜」のテレビCMが話題になっている。事件の当事者である江川卓小林繁が初めて対談するという企画だ。CMというよりも、ドキュメンタリーのような構成である。CMはほんの30秒程度の長さであったが、対談は1時間以上に及んだという。江川の番組「うるぐす」でも未公開の対談シーンを放送した。

読売新聞(14日付)に黄桜の一面広告が載った。杯を片手に向き合う江川と小林。CMでは語られなかった対談の一部が掲載されていた。

一生、話しをすることはない、と思っていた。
一度でいいから話しをしたい、と思っていた。

巨人のエースとして君臨し、スター選手の地位を確立して以降の江川しか記憶にない私にとっては、「空白の一日」は文字通りの歴史上の事件に過ぎなかった。

前年のドラフト指名を拒否し浪人生活を送っていた江川を巨人が突如ドラフト前日に獲得を発表する。だが、これは野球協約の不備を突いた奇策であったため、日本国中から猛反発を受けた。78年のドラフトで指名権を獲得した阪神にいったん入団。直後に小林とのトレードで巨人へ移籍するというアクロバティックな決着をみた。これが「空白の一日」事件である。

引退後はコメンテーターとして剽軽に振る舞う江川にとっては、もう遠い日の出来事になっているのだろうとぼんやりと思っていた。だが、お互いの野球人生をねじ曲げたあの事件は28年の歳月が経た今も終わってはいなかった。小林へ直接謝罪するまでは、江川の野球人生は終わることがなかったのだ。

江川「この事件を知っている人は、少しずつ忘れていくんですよね。でも、われわれは決して忘れられない」
小林「余計鮮明になっていくのかもしれない」

だが、巨体を丸めて恐縮しきりの江川を巨人軍の先輩でもある小林は暖かく包み込む。

江川「長い間本当に大変申し訳ありませんでした」
小林「謝ることないじゃん。しんどかったやろうな。俺もしんどかったけどな」「残りの人生が少し変わったものになるんじゃないかなと思う」

甲子園での押し出し敗戦、波乱のプロ入り会見、32歳での早すぎる引退。どんな場面でも冷静に振る舞ってきた天才投手が初めてさらけ出した「本音」と「弱さ」があった。そして、それを小林だけが受け止めることができた。「犠牲になったというアレはありません」と会見で言い切ったあのときと同様、小林はクールで大人だった。