ドラクエ4の思い出

DSのドラクエ4が発売された。周囲には「買わない」と断言したが、itunes交響曲版のBGMを聴いてみたら、ファミコン版のドラクエ4を思いだし、懐かしい気持ちでいっぱいになった。

当時の神奈川県の公立中学2年生は全員、3学期に「ア・テスト」(アチーブメント・テスト)という試験を受けなければならなかった。県立高校の入試の点に加算される「プレ入試」のような非常に重要なもので、主要5科目以外に美術、技術、音楽、体育などのペーパー試験も科目に入っており、テスト前に特別に勉強する必要があった。

ドラクエ4の発売日はちょうど、そのア・テストと重なる時期だったのである。5科目は学校の授業の枠を超えるものではなかったが、実技科目の方は対策本を買って勉強した覚えがある。そんなわけで、発売日には買えなかった。ジャンプとかに載る情報を横目で眺めていただけだった。

中学生といえば斜に構えた見方をするようになる年頃だ。ア・テストの前は「名前で売ってるだけ。つまらないよ」などと非難もしてみたが、そこはまだ子供。試験が終わるや否や、まっさきに買ってしまったのである。

試験後に友達のTと買いに行ったのを覚えている。その頃も入手難で、わざわざ溝の口まで電車に乗って行った。

章立てにしたストーリーは斬新だった。ただ、1から4章までの印象が強くて、5章から登場する勇者の存在がぼやけたものになった気がする。デスピサロも悪の大魔王という雰囲気ではなく、正直最後はあっけなかった。ドラクエ3は勇者をレベル99まで上げて遊んだけれども、4は1度クリアしたところで終わりにした。春休みに入った頃だった。穏やかな春の午後、「スリーエイト」で買ってきたメッツのグレープフルーツを飲みながらプレーしていた記憶が残っている。

それから10年ぐらいした頃、私はもう社会人になっていたが、実家の押し入れを整理していたら、ファミコンとソフトが出てきた。ドラクエ3を差し込んで電源を入れると、呪いの曲とともに、栄光のレベル99の冒険の書は消えてしまった。呆然とする私はドラクエ4を入れてみた。

「あれじ」という名の勇者はまだ、そこにいた。馬車を引き連れ、最後の城を薄れ掛かった記憶を頼りに進み、10年ぶりにデスピサロと再会したのである。レベルは30台後半ぐらいだったような気がするが、あっさりと倒してしまった。もう、それで満足であった。ドラクエ4の思い出はそこで終わった。

「あれじ」がまだ生きているかは分からない。