1984年のファミリーベーシック
小学校3年の遠足以来、23年ぶりに小金井公園へ行ってきた。何か覚えている風景があるだろうと思っていたが、全く記憶にない原っぱや林が広がっていた。平日の人出のない公園を歩いて1周してみたが、何も思い出すことはなかった。77ヘクタールの広さは都立公園では最大級らしい。公園の前の通り沿いに流れる玉川上水と並木の方が印象に残った。
ここまで書いて、私が目黒区立N根小学校で3年生の日々を送ったのは1984年だったなと気付いた。オーウェルの「予言」した世界とはだいぶ違っていたけれど、では、どんな時代だったのだろう。
テレビゲーム文化が花開く直前だった。ファミコン初のサードパーティ製ゲームとして、ハドソンから「ロードランナー」「ナッツ&ミルク」が発売された。その直後にはナムコが参入し、「ゼビウス」が発売される。質の高いゲームが加速度的に増えていった頃である。自分が買ったソフトだけでは、話題のゲームはカバーできなくなった。次第に友達とソフトの貸し借りをするようになっていった。中には、ソフトだけ持っているという友達もいた。
その年のクリスマスのことはよく覚えている。幼稚園のとき以来、クリスマス・イブは祖父の部屋で寝ることになっていた。1905年生まれの祖父はサンタクロースのことをなぜか「鍾馗様」と呼んでいた。ある種の「本地垂迹」的な世界観だったのかもしれない。
いずれにしても、3年生になってもサンタの存在を信じていたかどうかは覚えていないが、朝起きると足下にプレゼントが置いてあるというのが、例年のクリスマスの過ごし方であった。
1984年12月25日の朝も、目を覚ますと果たしてプレゼントの入った包みが足下に置いてあった。起き上がるや否や包装を解くと、「ファミリーベーシック」が入っていたのだった。
当時はPCー6001の「マイコン」ブームの時代でもあったが、さすがに小学生が買ってもらえるような代物ではなかった。すがやみつるの「マイコン電児ラン」「こんにちわマイコン」とかもあって、私の「マイコン」への興味が高まっている中で、発売されたのが、ファミリーベーシックだったのである。価格もファミコン本体と同額程度だった。
しかし、いくらマイコンよりも安いとはいえ、ファミコンソフト3本分である。中々買ってもらえなかったから、ファミリーベーシックの箱を見たときは本当に嬉しかった。
せっかくのファミリーベーシックであったが、プログラムの保存ができなかったため*1、プログラムをマスターしたりというところまではいかずに、引き出しの中に仕舞われるようになってしまった。コンピューターに対しては早熟だったはずが、今もプログラムの類は分からない。「サンタ」には大変申し訳ないと思っている。
(ファミリーベーシック付属のリファレンスシート)
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*1:保存できるテープも後に発売されたが、両親の理解は得られなかった